本屋にいけば情報は手に入る
この手の「わかりやすい資料」「伝わる資料」「コンサルが使うテンプレ」は書店のビジネスコーナーに多く陳列されています。それらを読むと学ぶことは多くあるものです。実際わたしも何冊かそのような本を読んだことがあります。ではなぜ、それらの情報があるにも関わらずまだまだ「わかりにくい資料」が作られるのでしょうか?わたしとしてはその答えは一つだと思っています。それは…
資料作成をコミュニケーションとして認識していないから
です。資料がわかりにくい人は「説明が下手」なのです。会話でもそうですし、電話でもそう、メールでもそうですが「そもそも伝え方が下手な人」なことが多いです。そんな人がさらに見た目の悪い資料を作るとなると、余計わかりにくくなるわけですが、この「見た目の悪い資料」だけが課題だと誤認しているとそれが”罠”ということになります。妙に見てくれのいい資料は作れるのですが、なぜか言いたいことがよくわからない。そのような人も多数いるものです。周りから見ると「資料作成に時間をかけていないで、シンプルに伝えたいこと教えてよ」という印象をもたれ、生産性の低いような扱いも受けてしまうことになります。
見た目は悪いが美味しい食事を提供してくれるレストラン、見た目はいいが味はそこそこなレストラン。
いつも行列ができるのはどちらでしょうか?
この記事では、具体的なテクニックではなく、いつもわたしが若手に伝えていることに触れたいと思います。
資料の独り歩きをさせる
「独り歩き」という言葉自体が少し古い表現なのかもしれませんが、簡単にいえば「作成者のいないところで、誰かがその資料を見て解釈を進める」ということです。誰かから資料が転送されることもあるでしょうし、欠席した会議の議事録を誰かがみることもあるでしょう。あなたがWebサイトにアップロードした資料を誰かが参照するかもしれません。
わたしとしては資料は意図した独り歩きをしてこそ意味があると思っています。資料の作成者がいないところで理解者が増えるツールなのですから、作成者がなにもしなくとも資料が勝手に仕事をしてくれているのです。これが望むべき姿です。
「資料が独り歩きをされると困ります」というセリフを何度も聞いたことがあるのですが、わたしとしては「独り歩きされて困る資料を作られては困ります」なのです。
Amazonの会議資料
Amazonの会議でPowerPointの作成や利用が禁止されていることは既にいろいろな書籍やWebで紹介されています。Powerpointで20スライドを素晴らしく説明されるよりも、Wordに書かれた数枚の文章と数字で理解するほうが本質的だという考え方です。
会議の冒頭に黙読の時間が与えられ、そこに書いてある情報を参加者が理解した状態で議論が始まるというスタイルです。これも作成者は会議にいるものの、独り歩きしていいレベルの資料を作ることが前提になっています。
会議の冒頭で参加者が黙読したあと、読み手によっていろいろな解釈が生まれてしまい、議論の前提がそろわない文章であれば、議論を継続することができません。
口頭だけで説明できるくらい自分の中でシンプル化できているか?
資料を作る前に、伝えたいことや伝えるためのストーリーが描けていないことには、資料に情報を落とす作業には入れません。最悪、資料(WordでもPowerpointでもよい)がなくとも、あなたが話すべきことが明確で、結論をどこに持っていきたいのかが明確でなければ、資料を作っても中身は迷走します。
学生の方々が書く読書感想文も同様です。原稿用紙に向かって名前を書いたあと一文字も書き進められない人は多いものです。そんなときのアドバイスは「まず口頭で感想を言ってみてよ」です。
どのあたりが面白かった?パッと思いつく印象に残っている部分ってなに?他の本になかった発見ってあった?などと口頭で聞いてみると割とスラスラと回答できるものです。つまり感想はあるのです。
これをそのまま文章にしていくわけですが、ここに文章を作るテクニックが求められます。感想を思いつくこととと文を書くことは別のテクニックなのですが、同時に2つのテクニックを駆使しようとするから手が止まるわけです。
よってまずは「口頭でわかりやすく話せるか?」にチャレンジしてください。
あなたのおじいちゃんでも理解できるか?
おじいさんがご健在かどうかはいまは無視してください。おばあちゃんでも親戚でも結構です。身近な20歳以上歳の離れた親族を思い浮かべてください。
わたしは仕事でもこのアドバイスを実際にしています。「あなたの資料は、あなたのおじいちゃんにも伝わりますか?」です。少し極端な例に思われるかもしれませんが、社内用語・共通言語がない外部の方たちに何かを説明するときにはいつもこの視点を持つようにしてもらっています。
就活生のみなさんにもこの観点は必要です。面接のときにその大学でしか使わない言葉、身内にしか通じない表現、ゼミの人しかわからないこと、自分が研究していたからたまたま知っているだけで一般的ではない用語、これらを使ってくる方はとても多いです。しかも、そのような状況で本人が「伝え手に通じていないこと」に気づくことはありません。
これ、おじいちゃんに通じるかな?
常にどこかにこの視点を持って話や資料作成ができている人は、面接官・上司・教授・役員・外部の人間、誰とコミュニケーションをするときにも通じることが増えてきます。最終的には「あなたの説明や資料はいつもわかりやすいね」という言葉になって返ってきます。それには何年もかかってしまうこともあるのですが、この視点は絶対に必要なものです。
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